もう年は明けてしまいましたが、 昨年末の27日に(予定日より少し早いけど)元気な女の子が生まれました。まずは、ほっとしました。 思い出しながら書いてみると、
12/24:検診ではまだまだですね、とのこと。次回検診は30日を指定される。 なんとなく年越しする気がした。がんがんクリスマスオラトリオをかけてみた。
12/26:日中に"おしるし"があったとのこと。通常なら一両日中に陣痛があるし、 逆に一週間たっても何も無い場合は問題有とのことで、さすがにもうすぐかと期待する。
12/27明け方:前日夜中から、弱いながらも陣痛があるとのこと。 まだ弱いので様子を見るが、間隔はすでに10分間隔なので判断に迷う。そのうち陣痛で寝ていられないので、 ソファーでうとうとすることとなる。私は寝ようと思ったら、陣痛らしいと言われ様子を見ていたので、結局徹夜に。 生まれないにしても翌日仕事は休むと決めた。
12/27午前:朝になってから、 病院に連絡。準備して来院するようにとの指示がある。タクシーにて移動。朝なので道はすいている。診てもらうと、すぐに分娩台へとのことで、 慌ただしくなる。事前のイメージでは、この後病室で待機しつつ陣痛が増していくところを私が気を紛らわす手伝いをする、 というものだったのに。本人は歩いて分娩室へ。私はひとり病室で待機。実家のご両親にも連絡したので、その後あわててやってきた。朝方、 同じ時間帯にもう一人陣痛が、といって来院した方がいた。こちらの方は病院に来る途中に陣痛がいったん治まってしまったとのこと。 診察だけして帰る、とのことだった(その後ウチは病室へ行った)。途中でトイレに行くと、先の旦那さんがまだいた。聞くと、 進行したのでウチと同じくそのまま入院したとのこと。もともと予定日も同じだったので、今日生まれますかねぇと会話。
12/27午後: なかなか進まないようで(あまり様子もわからないが)午後になっても、呼ばれる気配なし。 (立会を希望していたので、この産院では、最後の最後出る瞬間になったら、中に入れてもらえる)15:00過ぎ、 ようやく分娩室の外で待つように言われる。分娩室の外に行くと、簡易手術着のようなものを着せられつつ、まだまだかかりますよと言われる。 妻のご両親には、中で倒れないでね、と心配された。
12/27 15:30過ぎ:分娩中のランプが点き、院長先生が中に入り、 いよいよとなる。程なく中に呼ばれる。監視装置?みたいのがついており心音がモニタされているので、結構賑やか。妻はいきんでいるものの、 イメージにあった叫ぶようなものではない(もちろんとても痛そうだが)。ここでも、私はあまり役に立たず。結局、 中に入ってから2回目の陣痛で、頭が出きった。あとはするりと。泣き声は力強いもので、室外のご両親にもはっきり聞こえたとのこと。 妻はそのまま抱かせてもらって感激していた。お疲れ様とねぎらいつつ、私はまた外へ出される。
12/27 16:00過ぎ:妻は後産のあとまだ中で安静にしている。 赤ちゃんは産湯につかった後に、新生児室に寝かされたので、私やご両親はガラス越しに見ることができた。 まあ頭の形は今後変わって行くにしても、目が思ったよりもはっきりしている(後に看護士さんたちからは“おめめちゃん”と呼ばれることに)。 胎内でのクセか、すぐに手を口に持っていく。新生児はほとんど寝ているイメージだったが、出産直後はやはり覚醒しているのだろうか、 ずっと起きていたのが意外だった。やがて妻も落ち着いた頃、分娩台で面会が出来、そこで初めて親子3人揃った。その後、 私とご両親が交代して面会。しばらくはそこで休んだ後、病室に戻ることに。
と、全体としては順調な方だったのだろうが、じっと待っている時間が長かったので、 私には長い一日でした。何の問題もなく無事に生まれたことに感謝しつつ、帰宅。ということで、今後は「父親見習い」から「育児」 のカテゴリとなります。まぁ、まだ私がお世話できることは少ないけれど。